世界は、自分を受け入れてくれない。
自分自身もまた、世界を受け入れられない。
世界とは、背景に過ぎない。
自身もまた、その世界に映り込む背景に過ぎない。
起きている間が現実で、寝ている間が非現実か。
他者の死を知覚することは出来ても、自身の死を知覚することは出来ない。
気が付いた時には、既に生まれている。
永遠に続く世界に放り込まれて、永遠に生き続けることを科せられた者達。
それは、どんな権利であり、義務であり、罰なのか。
死は終わりでもなければ、解放でもない。
ただ単に、輪のゴールに着いて、すぐにリスタートになるだけの現象だ。
役割を決められ、何度も何度も、同じ事を延々と繰り返させられるだけの生活。
そこに生きる希望を見出すことも、死んでしまおうとすることも、何もかもが無意味だ。
その無意味だと感じる中でも、希望を見出すか、絶望に浸ることが出来る者もいる。
それは何故だろうか。
それは、結局のところ、人が一人ではないことから、派生してくる問題なのだろう。
一般的に良いとされる方向の出来事でも、悪いと決められている方向の出来事でも、
どちらにしても、何もない状態からすれば、問題だ。
問題を起こす生き方を選ぶか、問題を一切起こさずに生きるか、それは個人の采配に
委ねられている。
- 2008/06/23(月) 09:33:50|
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結局満たされていないから、その満足を得たいが為に、
人っていうのは、努力したり、それを得られなかったけれど、
他を得ようとするもんなんだろうな。
だから、その得られなかった物が仮に過去出来なくて、今手に入ると
しても、それは、その時欲しいと思って、求めていても手に入らなかった物を
得てしまったら、それは良くないことなのではないか、と思い始めた。
昔欲しかったものは、今欲しいものじゃない。
それを、今という時間を使って手に入れるというのは、
今欲しいものを逃してしまうことになってしまうのではないか。
だから、その過去のものに関して、得てしまうのは、少々間違い
なのではないか。
どうして、そう思うか、というと、最近は無料で過去に放映されていた
マンガ、ドラマ、映画も含むが、そんなものが普通に流れてしまっている。
それは、本来であれば、ビデオを買うなり、借りるなりしなければ
見ることが出来ないものだ。買う、借りるというのは、何はともあれ
お金がかかるものだ。お金がかかるということは、そのものに関して
よほど手に入れたいものでなければ、使わないものだ。
だが、それが無料で提供されているとしたら、どうだろう。
過去に見損ねたもの、何らかの理由で見なかったもの、その時は
興味が湧かなかったが、見なくて少しばかり後悔したもの、
そんなものでも、見てしまうのではないだろうか。
それを見ているということは、確かに過去の穴を埋めるという作業としては、
良いかもしれないが、過去の穴を埋めるというのは、今現在に穴が
生まれるということになるだろう。
そして、その今が過去になった時、また未来に、今が訪れたとき、
その今が過去になったものを埋めようとしてしまうだろう。
それが簡単に実る過去の遺物だとしたら。
そんなことを繰り返していたら、先に進むまでに途方もない時間が
かかってしまうだろう。いや、過去を振り返って、昔を永遠に
懐かしんでいるだけだったら、先に進めないだろう。
それでは、いけない。いけないはずなのだ。
しかし、今現在、そういった過去に手に入らなかったものを
ただただ時間があるからといって、自堕落に埋めようとしてしまっている。
それが非常に頭を抱えてしまう問題なのである。
そんなことをしている暇があるなら、小説の一つや二つ書けばいいのだが、
それも出来ない。そんな自分の精神状態が歯がゆいという所だ。
- 2007/05/29(火) 23:43:10|
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天気が良いと、人は心が明るくなるものだ。
雨が降っていると、憂鬱になってくるものだ。
曇りっていうのは、人を憂鬱にさせたり、穏やかな気持ちに
させたりする。いわゆる中間的な存在だ。
雨やら雪やら台風なんてものは、来るべき時に来れば良いものだ。
四六時中来ても迷惑なだけだ。
熱帯やら、亜熱帯でもなく、普通に温帯であるのだったら、
大概は、晴れか曇りが多いものだ。
人の心も同じように晴れか曇りが多ければそれに越したことはない。
雨やら台風といった不安定な要素は、少なくするのが楽な生き方だ。
しかし、雨も永遠に来ないと、水不足になってくるなどの弊害も
発生してくるため、多少は必要となってくる。晴れと曇りに
飽きてくるような時に雨も発生するべきなのだが、どうもそこまで
上手く行くことはないようだ。基本的に、もうちょっと晴れていて
くれれば良かったのに、曇りであれば良かったのに、などと思うことが
多いはずだ。だから、予測していない部分で発生した雨は、発達して
時には台風となったり、雹を降らせたり、雪を降らせるなどという
事態にもなってくるわけだ。
人の心は、秋の空などという程度のものではなく、ほぼ全天候を
内包している。それだけ不安定なものなのだから、理解しようと
すること自体、単なる徒労で終わることが多いのかもしれない。
毎日晴れ時々曇りなんていう心を持てるとしたら、それは無気力に
なるか、世俗に縛られることなく、何もかもを受け流せるように
なることだろう。だが、そこまで悟れるわけでもない。
- 2007/05/14(月) 22:21:14|
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